死装束とは、故人に着せる装束です。
故人に死装束を着せる慣習は古くから続いており、
着せ方も通常の着物とは少し違います。
また、死装束は着物以外にも多くの装具があり、
それぞれに意味があります。
人は死んだあと旅に出ると言われており、
多くの装具はその旅のために必要だと考えられています。
また、故人を見送る時には喪服を着用します。
今でこそ黒のスーツやモーニングが一般的ですが、
喪服は白とされていた時代もあったようです。
死装束が白い理由は何でしょうか。
それは日本人が紅白という色を特別視していることに
由来すると言われています。
日本人が紅白に特別な意味を見い出すようになった
きっかけは、平安時代の源平合戦とされており、
源氏が白旗、平氏が紅旗を掲げて戦ったことから、
対抗する配色として特別に見るようになったと言われています。
死装束が白い理由は、紅が出生の意味を持つのに対し、
白は死を意味すると考えられているからです。
また、白は清らかなイメージがあり、綺麗な状態で浄土へ
出発してほしいという思いの表れとも言われます。
また、今では黒い喪服が一般的ですが、
かつては喪服は白かったともいわれています。
現在とは違い昔は布自体が貴重品であり、綿製品が
一般大衆に広まったのも江戸時代に入ってからとも聞きます。
白い布は後々染め直して利用できる、
その辺りもあるのかも知れません。
喪服が黒くなったのはいつから?
日本でお葬式に参列するときに、黒い喪服を着るようになったのは、
明治時代からです。
1897年に執り行われた英照皇太后(えいしょうこうたいごう、
明治天皇の嫡母)の大喪(たいそう)の際に、
当時、西欧化を推し進めていた明治政府によって、
喪服も西洋の葬祭儀礼にならって黒とされたのがきっかけとされています。
明治時代には、大喪や国葬、軍人の葬儀など公の葬儀では、
西洋式に礼服や軍服とともに黒の喪章が着用されるようになりました。
上流の階級だけでなく、儀式を目にした一般の人の間でも次第に、
黒が葬儀の色として少しずつ浸透していったようです。
さらに、英照皇太后の大喪では、一般の人々も黒の喪章をつけて、
喪に服しました。
こうしたことから、黒が喪の色として広く認識されるように
なったと考えられています。
ただ、現在のように全国的に、親族も参列者も全員黒というくらいに
まで黒い喪服が定着したのは、ここ半世紀くらいのことのようです。